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油田遺跡の謎ー2

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油田遺跡の謎ー2

油田遺跡の謎ー1では大正12年「一宮市史」飯田吉之助著を読んで「降臨地」を推理しました。次に 昭和14年4月3日発行の「一宮市史」発行者が一宮市役所を見てみましょう。 大正14年一宮市から森徳一郎氏に委託があり若山善三郎氏ほか多数の力で、昭和14年4月3日に発行されました。一宮市史では「降臨地」についてどの様な見解でしょうか。

一宮市史(上巻)

昭和14年4月3日発行 発行者 一宮市役所

 

第二編 沿革 第一章 上世時代 第二節 真清田神社の鎮座

※ 真清田神社の鎮座地は松降里とも「青桃丘」ともいふ。

 

第二編 沿革 第五章 町村名の起源 第一節 地名の沿革

眞清田荘

眞清田神社の荘園の意味から起こった。同荘園の範囲は市外妙興寺はもと杉田村と称したが杉田は眞清田の眞を省略した清田(杉田)でいまなを桃花を祭には妙興寺を客馬として先頭に曳くを似て例とする。

※真清神社と妙興寺の関係は後から述べます。

 

 松降庄(松雨埜庄)

徳川時代は松降庄(松雨埜庄)と称した「眞清探桃集」に記された鎮座の時の松が降るに起因する。

 

青桃丘

松降庄を「青桃丘」と称するは「眞清探桃集」に起因する。

 

※松降りを「青桃丘」と同じ場所であると確認できる。

 

一宮市史(下巻)

 第9編 社寺  第一章 神社 第一節 眞清田神社 第十四項 雑載

 九、 妙興寺油田 

 

市外大和村大字妙興寺字油田十三番地にその古蹟があり、面積二十六歩の塚上に老松亂×え、古来興寺の有地に属する。村人の所傳によればこの地は往古「桃の木淵」と稱し眞清田神社の祭神が初めて降臨せられ場所で後年現在地に遷座したといはれ、その為桃花祭には同村より一馬(先頭の意味)を曳くのであると傅へる。然るに眞清田神社の記録によれば祭神の降臨は松降の由緖を以てし右の節を採らない。按ずるに中古妙興寺創建について久我家の所領たる眞清田荘内を割いてこれを進したので、同寺ではその報恩の為に油田と年々の収穫高を神社に進献したかと想像される。

眞清探桃集にも妙興寺村の油田は當社の舊社領なりとある)

塚は妙興寺地域の東南端に位置し眞清田神社の神前と直線に當り、鎌倉街道を南より来れば初めて清田荘に入る位置にあるから、或いはその遙拝所ではなかろうか尚考峝ふべきである。(妙興寺村方目録 眞清探桃集)

 

※一宮市大和町妙興寺字油田十三番地に古跡があり、昔から興寺の所有地であった。村人の伝承によれば昔から「桃の木淵」と言われ、真清田神社の祭神が降臨地された場所である。其の為 桃花祭には、妙興寺村が先頭になれると。

しかし、真清田神社は松降りが降臨地とのかんがえであり、右の説は

採らない。妙興寺創建について、久我家所領の真清田神社荘内から

寄進した。妙興寺ではその報恩の為油田と称して毎年収穫高を神社に

献上したかと想像される。塚は真清田神社とは直線上にあり、

遙拝所(ようはいじょ)ではないかと、かんがえる。

 

※「桃の木淵」と「桃木島」は一緒の言葉です、川の流れで桃の種がたどり着いてやがて

桃の樹が育った、当時の桃は食用より祭祀用途で貴重されていた。桃すなわち神聖な場所と

なり、地元ではそれがやがて、降臨地との伝説が出来たのでないでしょうか。

 

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 昭和十年代の油田塚の写真  昭和30年代の油田塚の写真

 

  一宮郷土読本

昭和31年10月30日 一宮市教育研究会

一 いちのみや

「真清田神社の神域は古い時代、松降荘青桃丘と言っておりました。昭和20年7月に戦災

にかかり由緒深い建物も森もすっかり焼失しましたがその後再建されました。」

※松降荘青桃丘(まつふりのしょうせいとうがおか)といっている。

一 いちのみや 桃花祭

この桃花祭は古くは陰暦3月3日でしたが、明治43年太陽暦の4月3日に変更され今日に

及んでおります。大昔はこの地を松降荘青桃ヶ丘と呼んでいたほどで桃の木が沢山あったことが想像されます。その桃の枝で身の汚れを祓い清め付近を流れていた木曾川の清流にその枝を

流した祭事(木曾川の流域変化で桃の枝を神前に供える祭事になった)

大昔はこの地を松降荘青桃ヶ丘と呼んでいた。

 

真清田大神の降臨地

真清田大神の降臨地はどこか、油田遺跡はなんだろか、といろいろ探してみました。

大正12年発行の飯田吉之助著「一宮市史」から昭和14年一宮市役所発行「一宮市史」

そして昭和32年一宮教育委員会事務局発行の「一宮郷土読本」などと調べるほどに

私の確信は確かのものとなりました。

真清田大神の降臨地は松降りです。

 masumi-222

この地図での位置関係がすべてを語っています。

油田遺跡は上記のとうり、遙拝所(ようはいじょ)ではないかと考えています。

 

 

※引用文献・参考文献リスト

作者発行日
一宮市史飯田吉之助大正12年11月23日
大正13年12月20日
一宮市史一宮市役所昭和14年4月3日
一宮郷土読本一宮市教育委員会事務局昭和32年7月10日
一宮の歴史一宮の歴史研究グループ昭和51年12月15日
多加木乃今昔あれこれ野村 精昭和55年12月25日
真清探当証 復刻版田中 豊平成11年10月
丹陽町史誌丹陽町史誌編集委員会平成12年11月23日

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